淺田氏
田七って痩せた土地にあるって昔から言っていましたね。いわゆる栄養分がない土地。なぜ栄養分がない土地にわざわざ田七を選ぶのかなと。素人が聞くと不思議に思ったんですけれども。
白井氏
田七って育成環境がすごく特殊で、表土だけで生きるんですよ。高麗人参みたいに地下に垂直に伸びていって栄養素がないところないところに展開していくものであれば、ある程度の肥料を入れてあげると大きくなっていくわけです。

ところが田七はショウガと同じで、横に寝ていて表土だけで育成するんですね。表土だけで育成するのに大量の有機物を入れる。また、日本の畑のようなところでやった場合、多分、田七人参に似ているものができると思うんですよ。だけど、通常の野菜をやるのは痩せている土地がいい。そこで3年間育成する。だからあえて有機物を与えないという選択になると思うんです。

例えば、東北のほうは黒い土で通常の野菜もやりやすい。そこで田七人参が自生していたり、生産をそこで大いにやられているということであれば、有機物をある程度入れていくというほうがいいと思うんですね。ところが、ベトナム国境の標高2000メートルとか、場合によっては3000メートル近いところの痩せている土地で田七人参を育成している、主生産地がそこだというのはやはりそれなりの痩せている土地、そして表土が育成する環境で自分の根を守らせたいからなんです。だからあえて栄養の入口を絞ってやる。

淺田氏
自分で栄養を作るのにそれだけ期間をかけて作りたいからこそ、あえて痩せた土地を選んでいるということなんですか。
白井氏
そうです。ちょっとピントが外れているかもしれませんけれども、人間もそうじゃないですか。やっぱり能力が高まるときって、失敗をしたとき、危機のとき、感傷的になったときじゃないですか。お金が潤沢にあって何も失敗がなくてという人のほうが人間の能力が高まるかというと、ほぼないですよね。成功していてお金があって、誰もが言うことを聞く。これはもう傲慢一直線みたいものじゃないですか。そういう人たちが人間の能力として高いかというと、そうじゃないですよね。

例えば、宗教家みたいな人は当然、内面の自分と向き合って、内面の自分を乗り越えるという努力をした結果、なにかしらの宗教論を持ったという話になるわけじゃないですか。それと全く同じだと思うんですよね。田七人参も苦しい環境の中で何年間か生きたからこそ人に与える薬効効果が生まれるよということだと思うんです。その育成環境にもある程度僕はヒントや答えがあると思っています。先ほど申し上げたように、東北の腐葉土がたくさん落ちるような林の中で育っているものであれば、それはそのやり方。一方で、腐葉土もあまりないハゲ山みたいな雲南省の標高が高いところで、あえてそこで育つのだったら、やはりそういう生き方を選択した植物というわけですね。それもたくさん化学肥料を入れれば大きくなるわけですよ。たくさんとれるわけですよ。それが今の市場に出回っている田七人参なんです。

淺田氏
フォアグラみたいなものですね。
白井氏
そうですね。せっせこほとんど役に立たないような子供に仕事を与えている親みたいなものですね。
淺田氏
ということは田七人参単体ですごい能力を持っているということなんですね。
白井氏
そうですね。われわれの仕事は田七に何かをしているわけじゃない。本来の上質な田七を生産することが仕事なんです。それが製品になるときにいくらかのテクニックは必要になるかもしれませんけれども、それは上質な田七人参を生産すること、イコール、後は田七が仕事をするわけです。見つかりにくいところで育成するというのもポイントかもしれないですね。
淺田氏
そうですね。今のお話を聞いてなんとなく腑に落ちた感じです。
白井氏
われわれ人間もそうですが、エネルギーの変換能力がいい人と悪い人がいるじゃないですか。例えば、運動も消費カロリーもほとんど同じ設定にして同じ食品を食べ続けても、ある人は太って、ある人は痩せていく。でも答えは出てくるわけですよね。同じ量を食べていても太っていく人ってエネルギーの変換効率が高いわけです。そう考えると田七人参は、エネルギーの変換効率から考えると、果たしていいのか悪いのかという考えなんです。変換効率の能力がとても高いと思うんですよ。高いものに大量の有機物を投下することはなし。あえて痩せた土地、雲南省の粘土質の高いところで3年間育成して、ようやくそこで収穫されます。

通常であれば、こんな痩せた土地で育ったものなんて、という話なんですけれども、そのほうが薬効効果が素晴らしいんだということだったら、田七人参のエネルギー変換能力って非常に高いと思うんです。高いんだったら高いなりの有機物を投下して、飽和状態にするんじゃなくて、常に枯渇している状態がいいんじゃないかと。それが農業技術と言われるのであれば農業の一番根本なところ。有機でもなんでもないんですけれども、もう質問みたいなところなんですけれども、そこがとても重要だと思うんですね。そうでないとどこに向かって何をやっているのかという農業自体の方向性、主体性がまったく見えないと思うんです。大量に作りたいのか、大量に作りたくないのかということで考えれば、大量に作りたくないということです。たくさん作ればいいんじゃないと思われがちですが、われわれは100%効果を約束できる製品を作らなければいけないのであれば、その効果というのを約束できるやり方が農業方法になっていくということです。